「穂積氏」と「三種の神器」
日本の皇室に伝わる「三種の神器」は歴代の天皇が引き継ぐ正当な皇統の証として理解されています。
実は今の穂積家の宗家である湯河原の子之(ねの)神社にも「三種の神器」が伝わっている言われがあります。南北朝の時代に南朝の正当を継いだ小倉宮が落人となった時に子之神社の穂積宮司家に婿入りして、そこからその宮司家が南朝の皇胤を継ぐことになったということだそうです。穂積家は饒速日命の直系氏族と言われていますが饒速日命の「八握剣」と「八尺瓊勾玉」と南朝の月面の八咫鏡「月輪 八稜の鏡」を組み合わせての三種の神器というのも非常に意味深です。
悠久二千数百年の歴史を有する宮司家には、天皇家と同様に、剣・鏡・玉の三種の神宝が伝えられています。八握神剣・八稜神鏡・八尺瓊勾玉と呼ばれるものがそれで、当神社本殿(奥の院)に奉安されています。このうち、八握神剣・八尺瓊勾玉は、当家始祖 饒速日尊以来伝えられたもので、十種の神宝の根本ともいわれる霊宝です。そして八稜神鏡は、朝廷に古来より伝わった、日月二面の八咫の鏡のうちの一面といわれ、『月輪 八稜の鏡』と称され、これは南北朝時代末期、代々南朝に仕えてきた当家祖先が、南北朝の合一後、後亀山天皇より南朝の正統を受け継がれた南帝 小倉宮良泰親王(第100代 招慶院天皇)より託された神宝と言われ、この時、この神鏡とともに、歴代の天皇が行われた『はふりのみわざ』という、天皇のみが行い、伝えてきた神法(南朝 大覚寺統にのみその正法が伝えられ、南北朝統一後、南朝の正統を受け継ぐ小倉宮家にひそかに伝えられた。)をも託され、現在まで守り伝えられています。
実は穂積天佑宮司は過去にびっくりするぐらいサラッとYOUTUBEで穂積家の三種の神器を公開しているんです。



ですが、子之神社のホームページにはこういう記述もあるんです。
...日月二面の「八咫の鏡」のうちの一面である『月輪 八稜神鏡』と「八坂瓊曲玉」の一部を始めとする『くしきみたから』と称される宮中に古くから伝えられてきた霊宝...
要するに南朝の三種の神器の八尺瓊勾玉の一部が納められたということなのですが勾玉に一部ってあるのかとなって頭がこんがらかってしまいますよね。なので、私は個人的に子之神社の三種の神器の伝承には日本の原初に関わる非常に深い根源的な謎があると感じています。
この大変不思議な子之神社の穂積の三種の神器ですが、穂積家には実はもう1セットの三種の神器が伝わっていると私は理解しています。それは宝、つまり限定された人間が保有する持ち物、としての三種の神器ではありません。間違いなく穂積家の三種の神器ではありますが、全ての人間のもの、あるいは地球そのものに属する三種の神器です。
それは剣山・子之神社・花背三輪神社の三つの聖地とそこに残る伝承です。
左から右に:「剣山の鶴亀岩」、「子之神社」、「花背三輪神社の夫婦岩(二つに割れた鏡石)と夫婦杉(切り株)」
ここでおさらいですが、私が過去に動画や記事で紹介したように、かごめ歌の「籠の中の鳥」とは八咫烏紋を背負い饒速日命の直系氏族である「穂積氏の系図」です。「穂積氏の系図」は今までは籠神社の海部宮司家の祖である「火明命」と、穂積氏の祖である「饒速日命」が「天照国照彦火明櫛玉饒速日命」として習合されることによりずっと世間の目が向かないように封印されていました。

その長く埋もれていた「穂積氏の系図」を使って剣山・子之神社・花背三輪神社の三つの聖地の暗号を開き始めると明らかな共通点が見えます。この三つの聖地は全て穂積家と海部家の対立構造でできているのです!
そして暗号を最後まで解くと見事に「剣山=八握剣(草薙剣)」・「子之神社=八尺瓊勾玉」・「花背三輪神社=八咫鏡)」という答えが出るのです!これを今から立証します。
まず剣山ですが、その南西に物部村という集落があります。もちろん古代物部氏の守ってきた場所です。

そして物部村には「いざなぎ流」という天竺のいざなぎ大王により伝わったと言われる民間陰陽道の習慣が残っているのです。

明らかに日本の中でも物部氏の伝承が非常に強く濃く残っている所です。そして過去にも説明した通り、物部氏の実の姿は饒速日命の直系である穂積氏を守る軍団です。なので物部氏が守っているものとはその皇統である穂積家の根幹に関わり、勅命を持って守られているものとなります。この物部氏と穂積氏の関係が長い間うやむやにされていることにより剣山と穂積氏の繋がりが隠されてきたのです。
そして剣山はかの有名な空海さんが施した四国八十八遍路の結界により守られています。

八十八は組み合わせると米になりますが、これを剣山と合わせると、握る柄の八つある八芒星の形をした剣、つまり三種の神器の八握剣(やつかのつるぎ)となります。またなぜ草薙剣の実態が八握剣なのかと補足しますと、草薙剣は素戔嗚命が八岐大蛇を退治して得たものです。要するに八芒星の形をした魔物が姿を変えたものというわけです。
そしてその八握剣は饒速日命の十種神宝の中にあります。その意味については後程に。

この壮大な謎を含んだ剣山の結界を張った空海さんですが、実名は佐伯真魚と言いますが、海部家の人間です。なので明らかに剣山の「八握剣」の暗号は物部氏を統括する穂積氏と、空海さんの海部家の対立構造で成り立っています。まさにかごめ歌そのものを表しているのです。
次に注目するのが穂積家の宗家である子之神社です。

気づいたかもしれませんが、子之神社も「この神社」と読めます。そして陰陽道では籠は子宮の意味を持ちます。そして子宮の中にいるのはもちろん子です。勾玉は胎児の形をしています。つまり子之神社そのものが「八尺瓊勾玉」なのです。
子之神社と籠神社の関係も穂積家と海部家の対立構造というかごめ歌の暗号の仕掛けに符合しているのです。
最後に京都の鞍馬山の奥にある花背別所町の花背三輪神社です。花背別所町という地域はほとんど物部と藤井の表札しかありません。その藤井氏も物部の一派、あるいは非常に関係の深い氏族のようです。要するに花背別所町も剣山の麓の物部村同様、古より穂積氏の軍団の物部氏の守ってきた里なのです。
その花背三輪神社の御神体はずっと何百年もの間、塀の中に隠れていて集落の人もほとんど見たことがなく、夫婦岩がある、とだけずっと伝わってきたそうです。それが2018年の大型台風の被害により社が倒壊したことにより、姿が顕になりました。そしてそこにあったのは真っ二つに割れた鏡石でした。おそらく縄文人が太陽礼拝をする時に太陽の光を照らすために使われた岩だったのでしょう。

なので穂積氏の守護である物部氏が千年以上にも遡って守ってきただろう花背三輪神社の御神体である鏡石こそが「八咫鏡」です。
そしてちゃんと花背にも海部家と穂積家の対立構造のあとが残っています。というのも、30年程前に花背で経塚が発見されています。経塚とは、平安時代末期に広がった、仏の教えが崩れる末法の世が来るのでその時の救世のためにお経を埋めて隠す習わしを指します。
その花背の経塚に埋められていたものに、その経が那智山から佐伯氏の人間に宛てられていた記述があったのです。那智山とはもちろん穂積家の統括する熊野三山の一部であり、佐伯氏とは前述した通り海部家に属します。これもかごめ歌の構造と対応しているわけです。

またこの花背三輪神社の御神体である「八咫鏡」が割れている理由ですが、ここからは「日本・ヘブライ・シュメールの三種の神器」の関係の謎に迫ることになります。
まず「日本の三種の神器」は剣・勾玉・鏡で成り立っています。

この「草薙剣」の形を十種神宝にもある「八握剣」とすると、「日本の三種の神器」は以下の形状になります。

次に聖櫃アークの中身である「ヘブライの三種の神器」は「アロンの芽吹く杖」・「マナの壺」・「モーセの十戒の石板」です。
さらに「シュメールの三種の神器」とも言えるシュメールの三つのシンボルは「八芒星」・「三日月」・「太陽」です。
まず日本の王家が起源すると言われる「シュメールの三種の神器」は「日本の三種の神器」の原型と見えます。その証に、草薙剣の実態が八握剣であるなら、「八握剣(草薙剣)=八芒星」・「八尺瓊勾玉=三日月」・「八咫鏡=太陽」と形状が全く一緒になります。つまりこの「シュメールの三種の神器」と「日本の三種の神器」の関係性が剣山・子之神社・花背三輪神社の三つの聖地のセットで表されているのです。

さらにアークの中身である「ヘブライの三種の神器」は「日本の三種の神器」が原型と見えます。その証明にヘブライと日本の三種の神器は陰陽反転の関係にあります。

「草を薙ぐ剣」を向きと効能を逆にすると「アロンの芽吹く杖」になります。そのアロンの杖はアーモンドの花を芽吹くのですが、アーモンドはイスラエルの春を呼ぶ花であり形状は桜にそっくりなのです。つまり平安時代に日本で広まった花見の慣習そのものが「草薙剣」としての剣山とセットの「アロンの芽吹く杖」なのです。

また子之神社は三日月の形をした胎児を暗示して「八尺瓊勾玉」でありますが、胎児を宿すのは子宮でありそれを表しているのはもちろん子之神社とセットになる籠神社です。籠神社の奥宮である真名井神社も古代は瓢宮と呼ばれ瓢箪という容れ物を暗示しています。なので真名井神社は「マナの壺」です。昔、六芒星の石碑があったことで有名になった神社です。


最後に花背三輪神社ですが、御神体である鏡石である「八咫鏡」は真っ二つに割れてい流ので「モーゼの十戒の2枚の石板」です。1と2という奇数と偶数の陰陽反転で成り立っているのです。

この剣山・子之神社・花背三輪神社に残る暗号は、「ヘブライの三種の神器」は「日本の三種の神器」を元としていて、聖書を書いた人たちは日本の伝承に次いでそれを創作したという状況的証拠になるのです。なぜなら「ヘブライの三種の神器」は「日本の三種の神器」、それも「草薙剣」を饒速日尊の十種神宝にもある八芒星の形の「八握剣」に転換しないと、「シュメールの三種の神器」の形に符合しないからです。
以下のような順番になるわけです。

私はこの「シュメール・日本・ヘブライの三種の神器」を繋げる暗号こそが饒速日命の直系である穂積氏の「聖地の三種の神器」の最終奥義であるとしています。子之神社の三種の神器の由緒もこの暗号に関係する可能性が高いとも考えています。
また、私と妻のレインが今まで非常に重要視してきた花背三輪神社ですが、この聖地だけが唯一「シュメール・日本・ヘブライ・の三種の神器」を一緒に封印して表しています。
その花背三輪神社で、私たちは、7月22日2025年「マグダラのマリアの宴の日」に、穂積一族の代表として、マリアの女系を表す薔薇とキリストの男系を表す十字架を、「八咫鏡・十戒の石板・太陽」である夫婦の鏡石の御神体の目印であった御神木の夫婦杉の切り株の上に祀り、特別御神体とし祭祀をしました。水源地の守護、実りの充実した繁栄、戦争の終焉、そして今でも隠れながら蔓延り拷問、性虐待、と生贄の儀式で主に子供を苦しめている悪魔崇拝儀式的虐待の禊祓いと慰霊を祈願しました。
その「八十八祭り」は世界で初めて古神道とユダヤ・キリスト教を公認で習合したお祭りとなりました。

この歴史的な祭祀の行われた花背三輪神社の座す花背別所町は鞍馬山を越えて花背峠の街道を進むと出てくる一番始めの集落です。

そして鞍馬山は明らかに京都の艮の鬼門としてマーキングされています。その証に、貴船神社の創建は丑の年、丑の月、丑の日で、鞍馬寺の創建は寅の年、寅の月、寅の日です。合わせて艮なわけです。
また鞍馬山から南東に下って京都の市内に向かいますと陰陽道の神様である泰山府君を祀る公認の京都市の丑寅の表鬼門である赤山禅院があります。


はっきりと艮の金神様が祀られている金神社まであります。

この赤山禅院の創建日は仁和4年、つまり西暦888年です。

この888という数字は八握剣・八尺瓊勾玉・八咫鏡、要するにアークが鬼門を通って京都に戻ってくること意味をしていると私は解いています。
また888はキリスト教数秘術ではイエシュアの数字です。

つまり北東の表鬼門の艮の金神と、そのつがいである南西の裏鬼門の坤の金神の正体は、穂積一族の夫婦の大神であるイエス・キリストとマグダラのマリアです。
そしてここからが本番です。
私たち夫婦はキリストとマリアの系譜の代表として穂積家のアークを京都市内に担ぎ込みました。

なので、現在、伏見区にある穂積家のアークですが(笑)、今あなたも受け取ることができます。ちょっとした冗談ですが、マジです。
私たちの考えでは、自分たちの担ぐ穂積家のアークの中身の正体は、私が書き留めて、あなたがたった今読んだ情報そのものです。この投稿に記述されている情報を完全に受け取ることにより、神との契約により皇として自分自身を統べる力を得ることができると考えています。
そして情報自体は誰一人のものでもないので、穂積家のアークを受け取った全ての人は皇として、役割は違えど基本的に完全に平等となります。私たちは、これがスメラミコトの再臨と、人類の競争社会からの解放という矛盾するはずの業が弥勒の世において同時に達成される仕組みだと捉えています。
ただし、穂積家のアークを受け取る最低条件はあると考えています。これは私たち自身を含め、穂積家のアークを受け取る全ての人に係る条件で宇宙の理の中にあるものです。
それは
①私たちを含む、穂積家のアークを守り続けてきた氏族の業を敬うこと。
②穂積家のアークを守り続けてきた理由である悪魔崇拝の儀式的虐待の禊祓いのために自分の心を捧げること。
まず①についてですが、例えばあなたがジャズ・ミュージシャンの方にジャズの演奏を習うとします。その先生であるジャズ・ミュージシャンと一緒にあなたが演奏している時にはあなたと先生はプレイヤーとして全く平等です。
しかし、あなたがその先生の技法と曲を盗んでまるで自分のものとして活動し始めたらどうなるでしょうか?あなたの演奏を裏付ける心そのものを貶めてしまうものにならないでしょうか?他の誰かが気づかなくても大元を傷付けるものは大元の力を失います。これは宇宙の法則です。
現在、日本のスピリチャル業界は全て八咫烏と、八咫烏の表の宮である穂積一族が裏でずっと培って支えてきたものの上に成り立っています。「饒速日命」、「瀬織津姫」、「かごめ歌」、「八咫烏」、「日ユ同祖論」、「イエスとマグダラのマリア」などのキーワードに続き、日本の全ての聖地、神事、術法などが私たち一族の管理下で守られてきたものです。私たちはこの事実を無視して、一般の方が見えないところで自分たちの地位・名声・利益を守るためだけに私たち一族の業を蝕む人たちを間近から多々見てきました。
断言しますが、そんなことをしている人たちに皇の力は宿りません!能力もシンクロも付いてきているのでしょうが肝心の所で業がダメになります。なので私たちの成し遂げた業を省いて私たちの担ぐ穂積家のアークの力を手に取ろうとする者は地位、名声、富を問わず全て紛い物です。
次に②ですが、今皆さんが祓って次の世に行きたいという全ての仕組みの裏に隠れているのが悪魔崇拝の儀式的虐待です。エプスタイン事件の真相を見ればすぐにそういうことだって分かりますよね?自然を破壊され怒っている自然の祟り神に変わり身として拷問・性虐待・生贄される御霊を差し出して、その挙句さらに自然を破壊するという繰り返しの果てに今の世があるわけです。
要するに現在の地球は拷問・性虐待・生贄で虐げられてきた御霊が見えない少数の人たちに式神としてコントロールされているため支配されているのです。その仕組みとはこのようなものです:人間の集合意識は本来全て繋がっていて私たちは地球上の誰かが隠された所で苦しんでいても精神の深い層では感知できるのですが、この事実を自覚できなくなると精神に穴があき、その隙を利用したマインド・コントロールに貶められてしまうのです。
そんな人類の集合意識の深層に押し込まれ、人知れず苦しみ、世界征服に利用されてきた怨霊たちが自分たちと真剣に向き合ってくれない人間をワンネスの弥勒の世に行かせてくれるでしょうか?もちろんそんな虫のいい話し絶対無理、論外です!これも宇宙の法則です。
なので私たちは、おおまかにこの二つの条件をクリアすることが、穂積家のアークを受け取って皇の力を得る最低条件と理解しています。また、お気づきかもしれませんが、私たちはこの穂積家のアークを受け取るために心を磨く業そのものが黙示録の「最後の審判」の正体と考えています。
また何度も言いますが、この業は穂積家のアークを担いでいる私たち自身にも係ることです。違うのは穂積一族の代表として先祖様の残した歴史の暗号を一番初めに解いて伝えていることだけです。自分たちが言い出しっぺだから大丈夫ということは決してありません。
また穂積家のアークの暗号自体は複雑で、その謎解きについていける理解力は人それぞれかもしれません。しかし本当に受け取るべきなのは人類に一人前になってほしいという大いなる愛の意志です。
穂積家のアークより伝わる「皇の力」とは自分自身を統べる力、つまり「人間界の表とも裏とも向き合える能力」なのです。
なわけで、弥勒の世に向けてお互いに精進しましょう!
今後も私たち穂積一族を応援して一緒に穂積家のアークを担いで下さったら幸いです。重荷で潰されそうになっています(笑)!
また最低条件が増えたら報告しますね。神様はスパルタ志向でSM趣味のようです(笑)。
弥栄
LUNMU ・龍夢(穂積神道と穂積レイン)
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